1958年10月1日施行の旅規は、鉄道のほか航路と自動車線における旅客運送を対象としており、「国鉄線」は、第3条第1号で「国鉄の経営する鉄道・航路及び自動車線」と定義された。また第3条第3号で列車・連絡船・自動車を総称して「列車等」と、第3条第5号で乗車券・乗船券・乗車船券を総称して「乗車券」と定義された。

1958年当時、連絡船は表1の6航路に運航されていた。これらの航路は、日本国有鉄道線路名称の航路版である「日本国有鉄道の連絡航路に於ける運輸営業の範囲及び営業粁程」に記載されていた[1]。一般には青函航路等の通称が用いられたが、青森・函館間航路というように起終点を併記するのが正式名称である。国鉄公示は正式名称によっている[2]が、以下の本稿では通称を用いている(「日本国有鉄道百年史」なども通称によっている)。第14条に規定されているように、各航路に営業キロ程が設定されたが、後述するようにこれと無関係に航路ごとに運賃が定められた。

表1 航路及び営業キロ程
航路名 通称 営業キロ程
青森・函館間 青函航路 113.0
宇野・高松間 宇高航路 18.0
仁方・堀江間 仁堀航路 70.0
宮島口・宮島間 宮島航路 1.0
大畠・小松港間 大島航路 3.0
下関・門司港間 関門航路 0.8

関門・大島・仁堀航路は、それぞれ1964年11月1日1976年7月5日1982年7月1日に廃止され、1987年4月1日の分割民営化によって、青函・宇高・宮島の3航路がそれぞれJR北海道・JR四国・JR西日本に引き継がれた。1988年3月13日の津軽海峡線、4月9日の瀬戸大橋線の開業により、青函連絡船と宇高連絡船の定期運航が終了したが、青函航路では臨時便が運航され、宇高航路では高速艇の運航が継続し、旅規から消えたのは青函航路が1988年9月19日、宇高航路が1991年3月16日である。2009年4月1日のJR西日本の宮島航路の子会社移管によって、すべての航路が旅規から消えた。

一時期、青函航路及び宇高航路では連絡船による客車の航送が行われていた。1946年4月22日連合軍専用の1201/1202レ("Yankee Limited")が上野・札幌間に運行を開始、青函航路で航送が行われた。一般の日本人が利用できるようになったのは、1948年12月15日のダイヤ改正で上野・青森間急行201/202レの1等寝台車(当時は特別寝台車)を青函連絡船で航送、函館・旭川間の急行1/2レに札幌まで併結したのが最初である(1949年9月15日改正で、上野・青森間急行203/204レ、函館・釧路間3/4レに同じく札幌まで併結)。また1952年4月1日改正で、連合軍専用列車は横浜・札幌間1201/1202レの特殊列車となり、発売枚数を限定して一般旅客に発売した。これらの青函航路の客車航送は、1954年9月26日の洞爺丸事故で終了した[3]。宇高航路では、1950年10月1日から大阪・宇和島、須崎間の夜行列車307/308レの一部の客車を航送した。旅客の要望に応えて、夜半に列車と連絡船との2回の乗換を解消するためのものだったが、1955年5月11日の紫雲丸事故以降廃止された[4]

自動車線とは、国鉄直営のバス路線である[5]。1958年当時国鉄は日本最大のバス事業者でもあった。国鉄バスは、1930年12月省営自動車岡多線の運行開始以降、鉄道線の先行、代行、短絡、培養の役割を担ってきた。1957年8月17日に発表された「国鉄自動車の基本方針」で、これらに加えて鉄道を補完する急行中距離自動車輸送が織り込まれ[6]、1958年3月10日、関門国道トンネル開通の翌日、関門急行線(山口・博多間)の運行が開始された。1964年10月5日の名神高速道路開通によって、ハイウェイバスにも進出した。バス路線は、国鉄自動車路線名称に、鉄道と同様の部・線体系で記載されていた。ただし線名のない部も存在し、その場合は部の名称が線名となった[7]

分割民営化後国鉄バスは、旅客会社直営のバス路線となったが、本州3社は1988年4月1日に子会社にバス事業を譲渡した。3島会社の直営バスも2004年4月1日のJR四国を最後に、すべて別会社化された。なお、JR四国の直営バスは別会社化以前の2002年10月1日に約款が分離され、旅規から自動車にかかわる規定が消えた。

以下国鉄時代は項目別に、1987年の民営化以降は時系列的に、連絡船とバスに係る旅規の変遷をたどる。


国鉄時代の変遷

航路の運賃・料金

航路営業キロ程は擬制キロだったが、航路の普通運賃は、対キロ運賃ではなく航路ごとに、第82条に定められた。0.8キロの関門航路の運賃(40円)が、3.0キロの大島航路(30円)より高いという逆転現象も見られた。青函・宇高・仁堀航路には2等船室があり[8]2等の普通乗車券が発売された。定期乗車券は、青函及び仁堀を除く4航路に発売され、定期運賃は第99条を受けて、別表第1号ホに定められた。宇高航路には2等の普通定期乗車券が発売された。青函及び仁堀を除く4航路には、普通回数乗車券も発売された(第39条第2号)。

3等級制から2等級制への1960年7月1日の改定で、2等が1等に、3等が2等となり、1961年4月6日及び1966年3月5日の運賃改定を経て、1969年5月10日、モノクラス制となった。旧1等船室は特別船室となり、第58条第1項第2号に特別船室券の発売が、第130条第1項第2号に青函及び宇高航路の特別船室料金が定められた。

その後も鉄道運賃の改定にあわせて、1974年10月1日1976年11月6日1978年7月8日1979年5月20日1980年4月20日1981年4月20日1982年4月20日1984年4月20日1984年7月7日1985年4月20日1986年9月1日と、毎年のように運賃改定が行われた。

普通運賃の改定にあわせて、第99条の定期運賃も改定された。条文は、1969年5月10日第98条に移動、1969年5月10日に第99条の2となり、別表ではなく旅規本文に記載された。

1961年6月28日から青函連絡船の1等船室に座席指定券が発売された(200円)。1969年5月10日のモノクラス制移行によって1等船室は特別船室となり、第61条で特別船室の指定席に座席指定券が発売された。第139条の2で座席指定料金は300円となり、特別船室料金400円に追加された。1974年10月1日、特別船室の座席指定券は廃止され、第58条の指定席特別船室券となった。指定席特別船室料金は第130条で青函航路のみに設定され、500円と従来の特別船室料金と座席指定料金を併せた700円から値下げとなった。しかし第182条の2の座席指定券の効力規定は、1969年5月10日改定時のまま変更されず、「連絡船の座席」が残された。一方第236条の2の座席指定券の改札及び引渡し規定では、「又は船室」が削られ、「乗車船」が「乗車」に変更された。

1975年11月20日の料金改定時に特別船室の指定席と自由席の区分がなくなり、料金が一本化された(第130条で青函航路は1,000円)が、1977年9月20日、自由席特別船室が復活し、第130条で青函航路の指定席特別船室は1,500円、自由席はその500円引きとなった。特別船室料金は、その後1981年4月20日に改定された。

1958年当時宇高航路には特別2等船室があった(第60条。料金は第132条で60円)。1960年7月1日の改定で、特別2等船室は、特別船席に変更され、1961年4月1日連絡船料金の通行税が廃止され、第132条の料金は50円に値下げされた。た。モノクラス制移行時の1969年5月10日廃止され、特別船室に移行した。

一方青函航路には2等寝台があり(第61条)、寝台料金は第136条第2号に定められていた。1960年7月1日の2等級制移行により1等寝台となり、1961年4月1日通行税分の料金が値下げされた。1969年5月10日のモノクラス制移行で単に連絡船寝台券(列車寝台のようにA寝台、B寝台の区分なし)となり、料金は、第136条に定められた。連絡船寝台料金は、その後1974年10月1日1975年11月20日1976年11月6日1981年4月20日1984年4月20日に改定された。寝台旅客は、入浴券を購入して連絡船に設備してある旅客用浴室を使用できた(第302条)。入浴券の規定は、1966年3月5日廃止された。

1972年11月8日宇高航路に高速船ホーバークラフトの運航が開始された。1972年3月15日の新幹線岡山延伸開業に合わせて、本州・四国間の高速輸送を図ろうとしたものだが、海上保安庁から安全航路選定のため延期を指示され、約8ヶ月遅れの開業となった[9]。旅規上は急行連絡船という扱いで、第57条に連絡船急行券が規定された(急行料金は第125条で500円)。連絡船急行料金は、その後1975年11月20日1976年11月6日1981年4月20日に改定された。

また第140条に航送料金の規定があった。定期列車の客車航送は1955年までに廃止されたが、客車貸切の団体旅客の申し出によって、青函間航路及び宇高間航路で客車の航送の取扱をすることが規定されていた。1959年6月1日改定で宇高航路における取扱は廃止され、青函航路では航送料金に含まれていた団体旅客運賃が分離された。第140条は、その後1960年7月1日1966年3月5日1969年5月10日1974年10月1日1976年11月6日1981年4月20日に改定されたが、表記の変更又は航送料金の改定である。

なお国鉄連絡船の中で青函航路は外洋航路と位置づけられ、旅客は第16条で連絡船旅客名簿の提出が義務付けられていた。その後第16条は、1967年3月1日1968年6月1日1969年5月10日1970年10月1日1974年7月20日1984年4月20日に改定されたが、連絡船旅客名簿の様式に係るものである。

自動車線の運賃・料金

自動車線の普通運賃は、航路と同様、自動車線キロ程によって算出するのではなく、第83条で「別表の通りとし、別表は関係の駅に備えつける」と定められた。1966年12月26日、別表を廃止、区間別に定めると改定され、一貫して旅規には記載されていない。自動車運賃の賃率が鉄道のように全国一律ではなく、地域及び競合・並行する民間バス路線によって異なっていたこと、種々の付加運賃が設定されていたことによるものだろう。なお、第14条の自動車線キロ程は、自動車線営業キロ程に改定された。それまでは、キロ未満の端数を四捨五入してキロ単位としていたものを小数点以下第1位の実キロに改めたものである[10]

第84条の片道普通旅客運賃の最低額は鉄道・航路・自動車線が一本化されていたが、1965年6月21日改定で「自動車線については別途定める」とされ、昭和40(1965)年6月16日付日本国有鉄道公示第322号で、

線名 最低額
1 京鶴線 大人 15円、小児 10円
2 その他 大人 10円、小児  5円
と定められた。公示第322号はその後頻繁に改定され、第1項に多くの路線が追加されたが、1967年12月20日限りで廃止され、1967年12月21日の旅規改定で、第84条第2号として自動車線の最低運賃が規定された。

定期運賃は第100条に基づき、別表第1号へに対キロで定められていた。別表第1号へはその1とその2の2種類あり、路線によって対キロ運賃が異なっていた。このうち、その2の低廉運賃が適用されていた北海道内の自動車線については、1958年12月10日別表第1号へ(その2)から削除され、別に制定された「北海道内における自動車定期旅客運賃」(昭和33(1958)年12月5日国鉄公示第438号)に定められた[11]。その後も旅規別表によらず、個別公示による定期運賃が適用される路線が増加していったが、1962年10月1日の改定で第100条に「別に定める場合を除き」が挿入され、初めて別則の存在が旅規に示された。同時に十和田北線、八久線等の定期運賃について「自動車定期旅客運賃」(昭和37(1962)年9月22日国鉄公示第386号)が制定され、「自動車定期旅客運賃」が適用される路線及び個別に定期運賃が公示される路線はその後も増え続けた。

別表第1号へは、1959年1月17日改定でその1とその2が一本化された。1961年4月6日別表第1号の2へとなり、1966年12月26日改定で、キロ対応から普通運賃額対応に変更された。その後も別表の番号は数回にわたって変更になった。

なお、第104条第1項で、定期運賃の計算においては、同一方向に連続する場合、キロを通算することになっていた。1966年12月26日の改定で、「別表第1号の2へ」を適用する区間と「別に定める」運賃を適用する区間をまたがるときは、それぞれの普通運賃に対応する定期運賃を合算することとなった。1969年5月10日、第104条は第101条に移行し、1974年10月1日の改定で、2以上の自動車線にまたがる定期旅客運賃は、「別に定める」以外は全区間を通じた普通旅客運賃に対応する定期旅客運賃となった。

1966年12月26日改定で、第38条の3の自動車線通勤回数定期乗車券、第38条の4の自動車線通学回数定期乗車券も設定された。1箇月(暦月)有効の乗車回数を制限した54券片の定期乗車券で、複数事業者が運行する路線で共通乗車の取扱いを行った。当初の発売区間は、古川線で、1980年時点で、和田峠北線、志賀草津高原線、白樺高原線、高峰高原線、高遠線、西讃線に設定されていた[12]。回数定期運賃は、昭和41(1966)年12月23日付国鉄公示第825号で「関係の自動車営業所及び停車場に掲げる」とされ、発売路線は公示されていない。同日の国鉄公示第826号で自動車線共通乗車規則が改正され、陸前古川・仙台間の宮城バスとの回数定期乗車券の共通乗車が追加された。その後も回数定期乗車券の発売路線は、自動車線共通乗車規則の改正公示で推定するほかないが、高遠線など伊那自動車との共通乗車の対象に回数定期乗車券が含まれなかった路線もある。

第39条第3号の自動車線普通回数乗車券のほか、第42条には、自動車線内の特殊均一回数乗車券(同一運賃区間に適用される回数券)の発売が規定されている。第39条第3号は、1965年10月1日「別に定める」自動車線内各駅相互間となったが、1966年12月26日「別に定める」が削除され元に戻った。第42条の特殊均一回数乗車券は、1965年10月1日、自動車線特殊回数乗車券に変わって金券式となり、1966年12月26日、「別に定める区間について」が挿入され、券種が増えた。

旅規の規定外に、1966年12月28日から名神高速線に発売された4件片の特殊回数乗車券がある。昭和41(1966)年12月24日国鉄公示第828号の名神高速線特殊回数乗車券発売規則に基づくものである。その後昭和1969年9月19日から北四国急行線にも、79年7月同線の廃止まで適用された。昭和55(1980)年4月3日国鉄公示第4号で、東名高速線及び名神高速線特殊回数乗車券発売規則が制定され、夜行バス「ドリーム号」の4件片の特殊回数乗車券に変更となった。

旅規第57条に自動車急行券が規定されていた(料金は第125条で50円)。自動車急行料金は、運賃と異なり旅規本文に規定されたため、表2に示す通りめまぐるしく変更されている。

表2 自動車急行料金の推移
施行日 変更内容
1961/08/08 予土北本線及び予土南本線は100円となり、2区分
1965/03/18 北四国急行線(80円)が追加され3区分
1965/10/01 すべて50円に戻る
1966/03/05 以前の3区分が復活
1966/03/16 北四国急行線を120円に値上げ
1967/08/01 予土北本線及び予土南本線を松山高知急行本線に改称
1968/08/01 仙台盛岡急行線(30円)が追加され4区分
1972/12/20 北四国急行線と松山高知急行本線を100円に統一、3区分
1974/03/06 平庭高原線及び沼宮内線(80円)が追加され4区分
1974/04/22 十和田北線及び奥能登線(100円)を追加
1974/08/01 十和田南線(100円)を追加
1974/08/30 北四国急行線を70円に値下げ、5区分
1974/10/01 十和田北線、十和田南線、奥能登線及び松山高知急行本線(100円)を削除、4区分
1976/07/20 早坂高原線、安家線(80円)を追加
1977/12/01 早坂高原線、安家線、平庭高原線及び沼宮内線を100円に値上げ
1979/07/22 北四国急行線(70円)を削除、3区分
1982/06/23 陸中海岸線(100円)を追加

旅規には規定されなかったが、昭和49(1974)年3月22日国鉄公示第300号で「十和田北線及び奥能登線の自動車急行料金の取扱方」が制定され、1974年4月22日から十和田北線(青森駅又は浅虫駅乗車)及び奥能登線(穴水駅、宇出津駅前駅又は輪島駅乗車)については、発売日は始発駅出発日の8日前、遅延の場合の払戻しなしと定められた。その後、1974年8月十和田南線(大館駅又は休屋駅乗車大湯温泉駅以遠着)が追加された。実質的に指定席急行券の扱いである。

昭和49(1974)年9月12日国鉄公示第165号によって、1974年10月1日から十和田北線、十和田南線、東名高速線、名神高速線、奥能登線及び松山高知急行線に自動車指定券が発売されたことにより、自動車急行料金の取扱方は廃止された。自動車指定券はその後、防長線(75/03/10)、白樺高原線(75/05/01。81/05/01廃止)、南房州線(76/03/09)でも発売された。自動車指定料金は、東名高速線・名神高速線が300円、その他の路線が100円だった。高速線は、1977年08月29日から500円、79年6月1日から1,500円に、その他の路線は1977年12月1日から200円値上げされた。さらに、1980年4月25日松山高知急行線が、4月25日奥能登線が、5月27日南房洲線が400円に値上げとなった。

鉄道と航路・自動車線にまたがる運賃計算等

航路と自動車線の旅客運送約款を鉄道と共通にしたことにより、鉄道と航路・自動車線にまたがる1枚の乗車船券が発売された。第72条で、鉄道・航路又は自動車線の相互にまたがつて乗車船をする場合の旅客運賃は、それぞれの運賃を合計すると定められていたが、第68条第2項に、鉄道線の前後に航路又は国鉄バスをはさむときは前後の鉄道のキロ程を通算する規定があった。通過連絡運輸と同様の取扱いである。逆に、自動車線の中間に鉄道又は航路がある場合は、定期運賃に限って前後の自動車線のキロ程を通算する規定があった(第104条第2項)。

1等運賃が特別車両・船室料金となった1969年5月10日の改定で、第72条は、「運賃」が「運賃・料金」となったが、同時に「1枚の乗車券類で発売するとき」が挿入され、条文の趣旨がより明確になった。鉄道と自動車線をまたぐルートが1枚の片道乗車券で発売されたために、第69条の経路特定区間には、バス路線が記載されていた。第3号の「岩国以遠(大竹又は岩日線方面)」の岩日線は、現在の錦川鉄道の前身の岩日線ではなく、国鉄バス岩日線である。1960年11月1日鉄道岩日線川西・河山間の開業により、バス路線は岩益線と改称され、第69条は後追いで1961年4月6日改定された。

鉄道とバスとにまたがる乗車券を発売する際、鉄道とバスの駅名が異なる接続駅を同一駅として取扱うことが第17条に定められていた。1958年当時7線、9駅が該当した。第17条は、国鉄時代に表3のように頻繁に改定された。変更事由は、鉄道及び自動車線の開業・廃止等に関する国鉄公示によって推定したが、不明な点が残っている。

表3 鉄道・バス同一みなし駅の推移
施行日 変更内容 変更事由
1959/02/08 削除:沼宮内西本線好摩口(東北本線好摩) 自動車線開業:大更線好摩・好摩口間
1959/06/15 挿入:奥能登本線鵜川口(能登線鵜川) 鉄道線開業:能登線穴水・鵜川間
1960/03/22 挿入:山川本線開聞駅前(指宿線開聞)・東入野(指宿線入野)・頴娃町(指宿線頴娃) 鉄道線開業:指宿線山川・西頴娃間
1960/04/17 追加:奥能登本線中居南口(能登線中居)・比良駅前(能登線比良)・矢波駅前(能登線矢波)・波並駅前(能登線波並)・藤波駅口(能登線藤波)・宇出津駅前(能登線宇出津) 鉄道線開業:能登線鵜川・宇出津間
1961/04/13 挿入:国分本線垂水駅前(古江線垂水) 鉄道線開業:古江線古江・海潟間
1962/11/10 名称変更:吾妻本線→渋川線小野上駅前(長野原線小野上)・中之条駅前(長野原線中之条)・川原湯駅前(長野原線川原湯) 自動車吾妻本線の一部区間を渋川線に移管
1962/12/25 仙台南線岩沼町→岩沼北町(東北本線岩沼) 自動車線駅名改称:岩沼町→竹駒神社前に伴う、対応駅の変更??
1963/01/10 削除:奥能登本線中居南口(能登線中居)・比良駅前(能登線比良)・矢波駅前(能登線矢波)・波並駅前(能登線波並)・藤波駅口(能登線藤波) 自動車線の移管:奥能登線能登鵜飼・泥木間間→小屋線??
1963/07/01 挿入:秋吉本線湯田温泉通(山口線湯田温泉)
1963/10/01 追加:奥能登本線松波駅前(能登線松波)、挿入:小木線小木駅前(能登線能登小木) 鉄道線開業:能登線宇出津・松波間??
1963/10/31 追加:山川本線枕崎駅前(指宿枕崎線枕崎) 鉄道線開業:指宿枕崎線西頴娃・枕崎間、線名変更:指宿線→指宿枕崎線
1964/09/21 削除:奥能登本線鵜川口(能登線鵜川)・松波駅前(能登線松波)追加:本蛸島(能登線蛸島) 鉄道線開業:能登線松波・蛸島間
1965/03/18 挿入:北四国急行線坂出駅前(予讃本線坂出)・丸亀駅前(予讃本線丸亀)・豊浜駅前(予讃本線豊浜)・川之江駅前(予讃本線川之江)・伊予三島駅前(予讃本線伊予三島)・小松駅前(予讃本線伊予小松) 自動車線開業:北四国急行線高松・松山間
1966/02/05 挿入:名古屋線前ノ輪(東海道本線大高)・共和駅前(東海道本線共和)・大府駅口(東海道本線大府) ??
1966/03/01 削除:国分本線垂水駅前(古江線垂水) 自動車線駅名改称:垂水駅前→垂水(66/01/15実施)
1966/03/10 挿入:大館線大滝温泉駅前(花輪線大滝温泉) 自動車線駅開業:大館線大滝温泉駅前
1966/04/01 挿入:札樽線琴似本通(函館本線琴似)・住吉神社前(函館本線南小樽)、空知線大谷地通(千歳線大谷地)、長沼線上野幌駅通(千歳線上野幌)
1966/09/01 削除:桶売線夏井駅前(磐越東線夏井) 自動車線駅名改称:夏井駅前→夏井
1966/09/15 変更:名古屋線前ノ輪→大高駅前(東海道本線大高) 自動車線駅開業:大高駅前
1966/12/26 挿入:川尻線大山駅前(指宿枕崎線大山)
1966/12/28 挿入:飯塚線幸袋本町(幸袋線幸袋) 自動車線駅開業:幸袋本町
1967/06/21 変更:直方本線箱崎八幡→箱崎宮前(鹿児島本線箱崎) 自動車線駅名改称:箱崎八幡→箱崎宮前
1968/08/01 挿入:仙台盛岡急行線中尊寺(東北本線平泉) 自動車線開業:仙台盛岡急行線一ノ関・盛岡バスセンター間
1969/12/08 削除:飯塚線幸袋本町(幸袋線幸袋) 鉄道線廃止:幸袋線小竹・二瀬間
1970/02/16 挿入:和田峠北本線大屋駅前(信越本線大屋) 自動車線駅開業:大屋駅前
1970/07/01 挿入:名金線岐阜駅前(東海道本線岐阜)
1970/08/25 変更:直方本線箱崎宮前→箱崎駅前(鹿児島本線箱崎) 自動車線駅廃止:箱崎宮前、開業:箱崎駅前
1971/03/07 変更:渋川線(長野原線→吾妻線) 鉄道線名改称:長野原線→吾妻線
1972/02/06 挿入:早坂高原線岩泉駅前(岩泉線岩泉) 鉄道線開業:岩泉線浅内・岩泉間
1972/12/15 挿入:大野線越前朝日(越美北線九頭竜湖) 鉄道線開業:越美北線勝原停車場・九頭竜湖間
1973/03/01 変更:仙台南線岩沼町→岩沼中央三丁目(東北本線岩沼) 自動車線駅名改称:岩沼町→岩沼中央三丁目
1973/05/01 変更:大野線越前朝日→九頭竜湖駅前(越美北線九頭竜湖) 自動車線駅開業:大野線九頭竜湖駅前
1973/09/01 削除:空知線大谷地通(千歳線大谷地) 鉄道線駅廃止:千歳線大谷地[13]
1974/12/12 削除:渋川線小野上駅前(吾妻線小野上)・中之条駅前(吾妻線中之条)・川原湯駅前(吾妻線川原湯) 自動車線駅名改称:渋川線小野上駅前→小野上、中之条駅前→中之条、川原湯駅前→川原湯
1975/07/20 挿入:陸中海岸線陸中野田駅前(久慈線陸中野田)・普代駅前(久慈線普代) 鉄道線開業:久慈線久慈・普代間
1976/01/15 挿入:阿波本線板野駅南(高徳本線板野) 自動車線廃止:板野・鍛冶屋原間、開業:板野駅南・鍛冶屋原間
1979/07/22 削除:北四国急行線坂出駅前(予讃本線坂出)・丸亀駅前(予讃本線丸亀)・豊浜駅前(予讃本線豊浜)・川之江駅前(予讃本線川之江)・伊予三島駅前(予讃本線伊予三島)・小松駅前(予讃本線伊予小松) 自動車線廃止:北四国急行線高松・松山間
1984/04/01 削除:陸中海岸線陸中野田駅前(久慈線陸中野田)・普代駅前(久慈線普代) 鉄道線廃止:久慈線久慈・普代間(三陸鉄道転換)

なお、関門間には、鉄道線に並行して、国道トンネルを経由する国鉄バス関門急行線が運行されていたため、第68条第4項に、関門間の鉄道線と自動車線を乗り継ぐときキロの通算を打ち切る規定があった[14]。第68条第4項は、1959年7月11日、小月駅前が小月町に変更となり、1959年8月1日削除された。このとき、関門急行線の小倉駅前通停車場(第17条に基づく鹿児島本線小倉駅との同一扱いなし)が廃止され、小倉停車場(鹿児島本線既設)が設置されたため、自動車と鉄道とを乗り継ぐ場合小倉駅で複乗となり、この規定が不要となったものと思われる。

第154条の乗車券の通用(有効)期間の計算には、鉄道と航路にまたがる乗車券は、鉄道・航路のキロを通算し、自動車線区間は各1日を追加した(ただし、全区間が20キロまでのときは1日)。航路のキロは、運賃計算では鉄道と通算しなかったが、有効期間の計算では通算したのである。当時、自動車区間を何回もはさむことによって、乗車券の通用期間を延長するテクニックがあった。このほか、航路営業キロ・自動車営業キロは、単独でまたは鉄道営業キロと通算され、第29条の学生割引乗車券や第31条の2の往復割引乗車券(航路のみ)の発売要件のキロ基準に適用された。

「乗車船」から「乗車」へ

旅規に頻出した「乗車船」は、2009年4月1日の宮島航路の子会社移管に伴う改定ですべて「乗車」に変わったが、国鉄時代にも次のように変更された。

1960年7月1日:3等級制を2等級に変更した旅規改定。第22条で「異級乗車」を定義したため、第89条第4項の「異級で乗車船する」が「異級乗車をする」に変更された。逆に第115条及び第161条の見出しは「乗車」が「乗車船」に変更になった。

1965年10月1日:第157条が「選択乗車船」から「選択乗車」に変更となり、これに関連して第252条第253条第281条の2も改定された。航路がらみの選択乗車区間が廃止されたのは、1958年10月の旅規全面改定時である。それ以前は、次のとおり

(15) 下関以遠(幡生方面)の各駅と、門司以遠(小倉方面)の各駅との相互間(ずい道線経由・下関門司港間航路及び鹿児島本線経由)。ただし、下関・門司港間相互発着となるものを除く。
(16) 下関以遠(幡生方面)の各駅と、門司港駅との相互間(下関門司港間航路・下関門司間ずい道線及び門司門司港間)

と、関門トンネル経由の鉄道と関門航路の選択乗車船区間があったが、1958年10月1日改定時に、旧第15号が

(21) 下関以遠(幡生方面)の各駅と、門司以遠(小倉方面)の各駅との相互間(ずい道線経由下関・門司間、鹿児島本線経由門司港・門司間)

と改定され、旧第16号が削除されて、関門航路が選択乗車区間から外れた。このとき「選択乗車船」を「選択乗車」に変更しなかったのは、復活させる可能性があったためだろうか。関門航路自体が1964年11月1日に廃止され、1965年10月1日の改定で「下関以遠(幡生方面)と門司以遠(小倉方面)」の選択乗車区間も廃止(廃止時は第24号)されたので、これにあわせて見出しと本文を改定したものと思われる。

1974年10月1日:「旅客および荷物営業規則」が「旅客営業規則」に変更になった大改定である。連絡船の座席指定券の項に書いたように、第236条の2の「乗車船」が「乗車」に変更になったが、このときは、逆に第13条第172条など、「乗車」が「乗車船」に変更された例のほうが多い。1972年11月8日の「急行連絡船」設定時に変更漏れだった条項を後追いで改定したためである。


民営化後の変遷

1988年3月25日−能登線の廃止

3月25日能登線が廃止(のと鉄道に転換)され、第17条から奥能登本線と小木線が削除された。

1988年4月1日−本州3社の自動車線分離

本州3社の自動車線が子会社に移管され、第17条から関係バス路線が削除された。このとき、第69条第7号から「岩益線方面」も削除されたはずである[15]

また第125条第4号の自動車線急行料金は、別に定めるとされた。

1988年4月10日−宇高連絡船廃止・高速艇運行

瀬戸大橋線の開業によって宇高連絡船は1988年4月9日限りで運航を終了した。これに伴い宇高航路の定期乗車券が廃止され、第35条第36条及び第99条の2から削除された。その後もホーバークラフトは、JR四国直営の宇高高速艇として運航され、旅規に「宇野高松間航路」と「急行連絡船」が残された。第125条の連絡船急行料金は値下げされた。

1988年9月19日−青函連絡船の廃止

1988年3月13日の津軽海峡線の開業によって、青函連絡船は3月13日限りで定期運航を終了したが、6月3日から9月18日まで開催された青函トンネル開通記念博覧会に合わせて1日2往復運航された。旅規が改定されたのは、運航終了日の翌日9月19日である。第82条から青函航路の旅客運賃が消え、青函航路のみの規定だった第16条の連絡船旅客名簿及び第140条の航送料金が旅規から削除された。

特別船室及び連絡船寝台が廃止され、特別船室(券・料金)の関連で、第3条第7条第12条第13条第18条第19条第20条第21条第43条第58条第65条第73条第130条第133条第175条第176条第188条第214条第215条第222条第222条の2第235条第237条の2第246条第248条第249条第252条第253条第266条第267条第272条第273条第275条第278条第282条第282条の2第283条第284条第285条第290条の2第292条第293条が改定された。多くが特別車両・船室から特別車両への変更である。連絡船寝台(券・料金)については、特別船室と共通の第13条、第18条、第21条、第43条、第65条以外に、第60条第136条第182条第217条第236条が改定された。またこれらの条項で「乗車船」が「乗車」に変更された。

1989年4月1日−消費税導入・通行税の廃止に伴う運賃料金改定等

消費税導入・通行税の廃止に伴って運賃料金の改定が行われ、第82条及び第99条の2の普通・定期運賃が値上げとなった。宇高航路の運賃は第125条第3号の連絡船急行券とともに据え置かれた。

1991年3月16日−宇高高速艇の廃止

1990年3月から休止していた宇高高速艇が1991年3月16日廃止され、宇高航路が旅規から消えた。鉄道の中間に介在する航路がなくなり、第68条が改定された。第82条の宇高航路の旅客運賃、第39条の回数乗車券が廃止され、急行連絡船に関する規定(第12条第13条第18条第57条第57条の5第65条第73条第125条第161条第172条第174条第211条第234条第282条の2第289条第309条)が旅規から削除され、これらの条項では、「乗車船」から「乗車」への改定も行われた。

このとき、第106条第2項が挿入され、宮島航路の回数旅客運賃が11枚1,600円に特定された。また第182条の2の座席指定券の効力規定から、1974年10月1日に廃止されていた連絡船の座席指定券が削除された。

1997年4月1日−消費税税率改定に伴う運賃改定

消費税率の3%から5%への改定に伴い、第99条の6の宮島航路定期旅客運賃が値上げとなった。第82条の普通旅客運賃は据え置かれたが、第106条第2項が削除され、特定回数旅客運賃が廃止された。

1999年6月10日−路線廃止(JR四国阿波本線)

JR四国の阿波本線が第17条から削除されたものと推定される[16]。なお、阿波本線はそれ以前に廃止されていたようで、1996年7月号から1997年7月号の間に交通公社の時刻表から消えている。

2000年4月1日−JR北海道の自動車線分離

JR北海道の自動車線が子会社に移管され、第17条から北海道のバス路線が削除された。

2000年5月30日−路線廃止(JR九州山川本線)

JR九州山川本線が廃止され、第17条から削除された。

2001年7月1日−自動車線の大幅縮小

JR九州の自動車線が子会社に移管され、旅客鉄道会社直営の自動車線はJR四国の松山高知急行線と大栃線だけになった(第3条)。JR九州直方本線の子会社移管によって第17条が削除された。急行自動車、自動車線回数定期乗車券、自動車貸切の各規定が廃止され、以下の条項が改定された。

急行自動車:第12条第13条第23条第57条第57条の5第65条第125条第161条第172条第174条第234条第273条第273条の2第282条の2第284条第289条第291条

自動車線回数定期乗車券:第12条第13条第18条第24条第38条の3第38条の4第65条第147条第154条第156条第168条第199条第200条第201条第202条第288条

自動車貸切:第52条第53条第119条第123条第209条

また第101条の自動車線の定期旅客運賃計算方の特例及び自動車線内各駅相互発着の乗車券類に関する第147条(第5項)、第183条及び第187条の規定が削除された。

2002年10月1日−JR四国の自動車線約款分離

JR四国の自動車線に関する約款が旅規から分離され、旅規から自動車線に関する条項が消えた。自動車線に関する条文(第42条(自動車線特殊回数乗車券の発売)、第83条(自動車線の大人片道普通旅客運賃)、第100条(自動車線の大人定期旅客運賃)、第109条(自動車線特殊回数旅客運賃)、第207条の3(自動車線特殊回数乗車券の様式)が廃止され、次の条項で自動車線に関する字句の削除又はこれに関連する改定が行われた。
第3条第14条第14条の2第15条第18条第19条第27条第32条第35条第36条第38条第39条第44条第45条第46条第48条第65条第68条第71条第72条第74条第74条の2第85条第94条第99条の2第103条第111条第112条第154条第156条第163条第237条第264条第265条第268条第280条第309条第310条第311条第321条

2009年4月1日−宮島航路の子会社移管

JR西日本の宮島航路の子会社JR西日本宮島フェリーへの移管によって、JRの直営航路が全廃され、旅規から航路に関する条項がすべて削除された。

直接影響を受けた旅客制度の変更は、第35条第36条第39条の定期乗車券・回数乗車券の発売区間から宮島航路の削除、第52条の汽船貸切の削除、第72条(鉄道・航路の相互にまたがる旅客運賃・料金)、第74条の2(割引の旅客運賃・料金)第2項、第82条(航路の大人片道普通旅客運賃)、第99条の6(航路の大人定期旅客運賃)の削除である。

第3条の定義から、第1号の3の「航路」が削除され、第3号の「列車等」は「連絡船」を削って「列車」となり、「乗船券」・「乗車船券」の廃止に伴い、第8号の「乗車券」の定義が削除された。また第14条の「航路営業キロ」、第44条の「連絡船」が、第68条第4項、第74条第74条の2第2項から「鉄道・航路を通じた」が削除された。 これ以外にも次の条項で「車船」が「車」に、「列車等」が「列車」に変更される大改定となった。
第21条第21条の2第26条第29条第6条第7条第13条第14条の4第19条第20条第21条第21条の2第26条第29条第31条第38条の2第40条第43条第45条第46条第50条の2第51条第57条の2第64条第67条第71条第73条第75条第111条第115条第147条第148条第150条第153条第155条第156条第161条第165条第167条第168条第187条第228条第237条第241条第244条第245条第247条第248条第249条第251条第253条第263条第264条第265条第266条第268条第271条第273条の2第274条第275条第278条第282条第288条の2第284条第285条第286条第287条第288条第290条の3第291条第292条第296条第300条第307条第308条第309条第309条の2第309条の3第310条第311条第311条の3第312条第313条

2012年12月22日−気仙沼線BRTの運行

2011年3月11日の東日本大震災によって、線路が津波に流された山田線、大船渡線、気仙沼線、仙石線や原発事故による放射能汚染区域を走る常磐線など、東北地方のJR路線の多くの区間が不通となった。不通区間には徐々に代行バスが運転されたが、気仙沼線前谷地・気仙沼間は、軌道を舗装してバス専用道路に改める「バス高速輸送システム(BRT)」で仮復旧させることになり、2012年8月20日BRTの一部区間先行開業による、気仙沼線の代行バスが運行を開始した。12月22日、BRTの本格運行開始に伴い、第17条が復活し、「気仙沼線柳津・気仙沼間の取扱い等については、別に定める」と規定され、別途通達で などが規定されたようだ。2013年3月2日、大船渡線気仙沼・盛間でもBRTが運行開始、第17条が改定された。なお、BRTはJR東日本直営(ミヤコーバス・岩手県交通に運行委託)の「一般旅客乗合自動車運送事業」であり、国土交通省の一般約款に準じた東日本旅客鉄道株式会社一般乗合旅客自動車運送事業取扱規則が制定された。2020年4月1日両線の鉄道事業が廃止され、鉄道の代行バスから直営のBRT事業となり、第17条の見出しにBRTが付加された。

2017年の九州北部豪雨で被災し、不通になっていた日田彦山線の添田・夜明間についても、JR九州と地元自治体の間でBRTで復旧することが合意され、2023年8月27日添田・日田間で運行を開始した。JR東日本のBRTと異なり、JR九州の直営事業ではなく、JR九州バスが運行主体(一部を日田バスに委託)となった。第16条の6で「乗車券類の発売を行わないものとする」となったが、連絡運輸規則第1条の2に「日田彦山線BRT添田・日田間の一部又は全部の区間を乗車する旅客の取扱いは、別に定める」と規定され、連規に基づく連絡乗車券が発売されることとなった。


[1] 1958年10月時点の「日本国有鉄道の連絡航路に於ける運輸営業の範囲及び営業粁程」には、このほかに小湊・函館間航路が記載されていた。1946年7月から1947年2月まで連合軍のLSTを使用して貨物車両の航送を行った航路で、1958年当時は運航を休止していたが、削除されたのは1965年3月20日である(昭和40(1965)年3月3日国鉄公示第104号)。
[2] 昭和29(1954)年10月15日国鉄公示第314号の「青森・函館間航路経由貨物の臨時取扱方」において「青森・函館間航路(以下「青函航路」という。)」と青函航路が略称として用いられている。ほかには、駅の営業範囲の改正に係る昭和49(1974)年9月12日公示第208号、昭和52(1977)年2月1日公示第184号、昭和58(1983)年3月30日公示第260号の堀江駅の欄に「仁堀航路連絡荷物」、昭和60(1985)年3月12日付国鉄公示第181号に「宮島航路宮島営業所」の表記が見られる。
[3] 大久保・三宅・曽田編「鉄道運輸年表<最新版>」(1999、JTB)及び日本交通公社「時刻表」昭和24年9月号、昭和27年5月号(いずれも復刻版)による。なぜか、「日本国有鉄道百年史」には青函航路の客車航送の記述が見当たらない。なお、「時刻表」昭和27年5月号には、特殊列車について「この列車利用の際は車内の秩序、整頓、清掃等特にご配慮願います」との注記がある。
[4] 「日本国有鉄道百年史」第13巻、p402、「鉄道運輸年表<最新版>」及び「時刻表」昭和27年5月号(復刻版)による。
[5] 国鉄の自動車運送事業には、貨物自動車もあり、貨物運送のみの路線も存在した。
[6] 「日本国有鉄道百年史」第13巻、p417-418
[7] 国鉄自動車路線名称の部線名は、北から南に記載された。路線の統廃合による路線名の変更や地方自動車事務所の所管区域の変更等による記載順序の変更が頻繁に行われた。東海道線の部から始まる日本国有鉄道線路名称が、盲腸線同士を結ぶ短絡線の開業による部線名の変更を除き、ほとんど変わらなかったのと対照的である。
[8] 青函連絡船は、1956年5月31日まで3等級制だった。1等船室を2等A寝台船室に格下げし、2等級制に変更した。
[9] 「日本国有鉄道百年史」第13巻、p403
[10] 「国鉄自動車五十年史」p220。
[11] それ以前から次の4路線の定期旅客運賃は、別に公示された規則によって特定されていたが、1958年10月の旅規はこれらの特例について言及していない。
公示日 公示番号 施行日 名称 対象路線
56/03/27 93 56/04/01 西天竜線(自動車)浜松・宮口間等における自動車定期旅客運賃 西天竜線浜松・宮口間及び遠三線宮口・遠江渋川間内相互発着
57/04/22 153 57/04/26 白棚高速線(自動車)における自動車定期旅客運賃 白棚高速線相互発着
58/02/06 42 58/02/15 安芸線(自動車)大屋橋・仁方等における自動車定期旅客運賃 安芸線大屋橋・仁方間及び西条本線広交叉点・大津江橋間内各駅相互発着
58/05/31 186 58/06/01 東大阪線(自動車)における自動車定期旅客運賃 東大阪線内各駅相互発着
[12] 「国鉄自動車五十年史」p178-179。
[13] 8月30日付公示、9月1日施行の旅規改定だが、千歳線線路付け替えに伴う駅の廃止は9月9日。同時に改定された第69条第86条は9月9日施行とされた。第17条も9月9日施行とすべきだったが、漏れていたものと思われる。
[14] 新下関・小倉間の新幹線と在来線とを乗り継ぐ場合のキロ打ち切り規定(現行旅規第68条第4項第3号ア)によく似ている。
(3) 新下関・博多間の新幹線の一部又は全部と同区間の山陽本線及び鹿児島本線の一部又は全部とを相互に直接乗り継ぐ場合は、次により計算する。
ア 山陽本線中新下関・門司間及び鹿児島本線中門司・小倉間の一部又は全部(同区間と同区間以外の区間をまたがる場合を含む。)と山陽本線(新幹線)中新下関・小倉間(同区間と同区間以外の区間をまたがる場合を含む。)とを新下関又は小倉で相互に直接乗り継ぐ場合は、新下関又は小倉で鉄道の営業キロ又は運賃計算キロを打ち切つて計算する。
[15] 小布施由武「JR旅客営業制度のQ&A」の巻末にある「旅客営業規則改正公告」では、1988年4月1日施行の本州三社の自動車分離に伴って改定された条文に第69条は含まれていない。しかし、1988年12月1日現行のJR東日本版旅規では「又は岩益線」は削除されており、このとき以外に削除の時期は考えられない。
[16] 「JR旅客営業制度のQ&A」によると、この日施行の旅規改定は、「自動車線の一部廃止に伴う改定(17)」だけで、路線名が明示されていない。1999年2月15日現行のJR東日本版旅規第17条に記載されていた5自動車路線(札樽船、長沼線、阿波本線、直方本線、山川本線)から消去法で、阿波本線と推定した。


更新履歴
2015/03/25 「2012年12月22日−気仙沼線BRTの運行」の項を追加
2024/04/23 2020年4月1日の気仙沼線・大船渡線BRT代行区間の鉄道事業廃止、2023年8月28日の日田彦山線のBRT運行開始を記載。