横浜鉄道遺跡ツアー


2016年7月16日、落書き帳横浜非公式オフ会の開催時に、オプションとして実施する「横浜鉄道遺跡ツアー」のルートを紹介する。


ルート

14:30、東急東横線反町駅を出発、東横フラワー歩道(2004年に東横線が地下ルートになる前の軌道敷跡)を横浜駅方面に進む。高島山トンネルを抜けると旧東海道と交差する。左折するとJRの線路にぶつかるが、ここは開業時には木造の旧青木橋が架かっていた。

横浜駅のきた西口からの参加(14:45)も可。南口へのコンコースにある「横浜駅記憶の散歩道」で鉄道路線の変遷地図などを眺め、みなみ東口へ。高島町方面に向かい、二代目横浜駅遺構を見学。横浜駅方面に戻り、歩道橋を渡ってみなとみらい21地区に。ここはかつて横浜機関区があったところ。横浜港の臨港貨物線のうち、唯一残っている、鶴見・桜木町間の貨物線の踏切を渡って、国道16号線。旧東横線高架下を桜木町駅に。

桜木町駅からの参加も可(15:30、モレルレリーフ前)。桜木町駅は、開業時の横浜駅があったところで、駅舎は汐留駅と同じスタイルだった。ここには多くの記念碑がある。モレルレリーフ開業時の0kmポイント「開業当時の横浜駅長室跡」の陶板プレート鉄道発祥記念碑。初めてきて、開業時の0kmポイントと「開業当時の横浜駅長室跡」の陶板プレートを探すのは困難だろう。

汽車道を進むと路盤をはがして工事をしていた。臨港線の軌道跡であることがよくわかる。新興ふ頭の旧横浜港駅は、太平洋航路の客船の発着時に、東京駅からボートトレインが運転されていた。最終運行は、1970年10月18日、D51がけん引した列車。

山下公園に向かう山下臨港線プロムナードも臨港線の軌道跡。山下公園の入り口で終わっているが、かつては山下公園と道路の間に高架線があり、山下ふ頭と結んでいた。1989年の横浜博覧会(YES'89)開催時には、日本丸公園から山下公園(氷川丸の近くにあった)まで旅客列車が運転された。

ホテルニューグランドの手前を右折して、中華街へ。


1912(明治45)年7月発行の1/5万地形図

スナフキんさんから提供を受けた1912(明治45)年7月発行の1/5万地形図を、上記のグーグルマップの範囲を切り取って掲載した。

「かながは」駅の北東に旧東海道が鉄道をまたいでいるのがわかる。横浜駅にはヤードが表示されているが、まだ臨港貨物線は開業していない。神奈川駅から程ヶ谷駅の直通線は1894(明治27)年9月開通し、まず軍用列車を通過させた。1898年これを複線化し、関西方面の長距離列車は直通線を通過するようになり、1901年平沼駅が設置された。

この地図の出版あとになるが、1914(大正3)年12月20日東京駅開業と同時に京浜間に院線電車が運転され、横浜側のターミナルとして高島町駅が設置された。しかしトラブルで運休となり、1915年5月10日再開した。8月15日高島駅構内に二代目横浜駅が開業、高島町駅を統合し、初代横浜駅は桜木町駅に改称した。このとき、二代目横浜駅と程ヶ谷を結ぶ線路が開通し、直通線と平沼駅は廃止された。1928(昭和3)年10月15日、現在の三代目横浜駅が開業した。


1954(昭和29)年3月発行の1/1万地形図

スナフキんさんから提供を受けた1954(昭和29)年3月発行の1/1万地形図。スキャンした範囲は、若干狭い。

高島貨物駅と東横浜貨物駅のヤードが目立つ。高島貨物駅の一角には、横浜機関区の扇形車庫とターンテーブルが表示されている。高島駅と東横浜駅は、1915(大正4)年12月30日電車の運転を桜木町まで延長した際、旅客線と分離して開業した。高島貨物駅の先の高島ふ頭からは、木更津航路の定期船が運航していた。

東横浜からの臨港線は、現在の汽車道を通り横浜港駅まで、さらに山下公園の手前の大桟橋附近まで敷設されている。これが山下公園の前を高架線で通過しで山下ふ頭まで延伸したのは、1965(昭和40)年7月1日である。敷設が遅れたのは、山下公園の景観論争があったためで、1986(昭和61)年11月1日の廃止まで20年足らずだった。なお、廃止後の1989年、横浜博覧会開催時に初めて旅客列車が運転されたのは前述の通り。


参考文献:
宮脇俊三編著「鉄道廃線跡を歩くIV」(JTB、1997年)

改訂履歴:
2016/06/24: 1912年及び1954年の地図を掲載
2016/07/08: 反町駅集合時刻を出発時刻に変更

初出:2016/06/23 最終更新:2016/07/08
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